Office Ton Pan Lar

Consideration of International Affairs by Office Ton Pan Lar

混乱下のミャンマーでの敬服する事業家

News Net Asiaが混乱下でのミャンマーでの事業を守る努力を続けている日本人について記事を伝えた。

日本の大企業のミャンマー駐在員がそそくさとミャンマーを去った中、事業ひいてはミャンマーを守ろうとしているその姿には心から敬服する。どうか安全でいて欲しいと心から願う。

 

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ミャンマー国軍による2月1日のクーデターから約2カ月。悪化する事業環境の中、現地の社会的な課題の解決に取り組んでいるリンクルージョンが、農村部での生活必需品の流通事業を続けている。創業者兼代表の黒柳英哲(40、敬称略)は従業員への権限移譲や緊急連絡体制の再構築、業務フローの見直しを矢継ぎ早に打ち出し、現地での事業を守ろうとしている。

 

リンクルージョンが、クーデター後に一時停止した営業を再開したのは一週間後。それ以降、安全上の理由で事業継続を断念した2郡区を除くヤンゴン管区の3郡区で、零細小売店に商品を卸し続けている。

クーデター下でも、車で2時間離れた貧村の食料品の需要は変わらない。むしろ他社の流通が滞っているからこそ、リンクルージョンへの期待は高まっている。2月以降の販売状況は、過去最高の水準を維持する。

問題は多い。一番の気掛かりは従業員の安全だ。配送途中でも異常があれば、業務を中止する権限を現場に移譲した。従業員の緊急連絡体制は「かなり細かくフローを作った」。連絡網には電話番号だけでなく、通信事業者名を書き込んだ。一部の事業者のみ電話が遮断されることがあるからだ。近所に住む社員同士をグループにし、連絡がつながった者が伝令に走る仕組みを整えた。

インターネットの制限は、アナログ対応で切り抜けている。2018年に開始した同社の流通事業の先進性は、スマートフォン経由で発注を受けた商品を、店頭まで配送するところにあった。遠方の街まで仕入れに行く手間が省ける小売店の支持を集め、取引先は900店にまで伸びた。ただ、ミャンマーの農村には、スマホを使いこなせない顧客もいる。電話での受発注にも応じていたことが、今になり生きた。

一方で、在庫管理などは完全にシステム化していた。紙での作業を一部取り入れざるを得なくなり、「現場の負担は増している」。

最も影響が大きいのが、銀行の停止と物流の停滞だ。銀行送金ができなくなったことで、仕入元や営業現場との1日単位の調整が求められるようになった。

サービス提供地域にある倉庫への運送も、道路の寸断や治安の悪化に阻まれている。物流の停滞で、食用油や地方で作られる野菜などの不足が目立ってきた。一部商品の仕入れ値は高騰している。

 

東日本大震災後、非政府組織(NGO)などで被災地の復興支援に関わっていた黒柳が、リンクルージョンを創立したのは2015年。起業の動機は「10%の富裕層から取り残された90%の人々に最適化された経済の仕組みを作りたい」。マイクロファイナンス(小口金融)機関向けシステム事業と流通事業を立ち上げ、投資家から資金を調達してきた。クーデターで情勢は一変したが、「道半ば。簡単に諦めたくない」。

黒柳の熱意に、70人いる従業員たちも応えてきた。2月1日、クーデター直後にもかかわらず、農村部にある物流拠点には、従業員全員が時間通りに出勤していた。ヤンゴン本社と連絡が取れない中でも、自分たちでできることを探していた。常々感じてきた「根が真面目」というミャンマー人の良さは、非常時にも変わらなかった。

そんな従業員たちに何を伝えるべきか。市民への連帯と、会社を取り巻く現実との均衡点を探し続けた末、2月下旬にメッセージを出した。「必ず明るい未来がくる。それまで頑張ろう」。同時に、リンクルージョンのサービスの意義をあらためて訴えた。思いは通じた。デモが続く中でも、ほぼ全員が出勤を続けてくれている。

ミャンマー市場の長期的な成長性を、今も疑っていない。「伸びしろは変わらない。頂上に向けた成長の角度と時間が、大きい落とし穴にはまってずれただけ」。山道は険しくなった。ただ、その頂きはまだ黒柳の視線の先にある。