Office Ton Pan Lar

Consideration of International Affairs by Office Ton Pan Lar

包囲網が強まるミャンマー制裁

みずほ銀行アジア調査部上席主任研究員酒向浩二氏によるミャンマー分析レポート。

 

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1. はじめに
2月1日未明、ミャンマー国軍によって実行されたクーデターによって、アウン・サン・スー・チー氏率 いる国民民主連盟(NLD:National League for Democracy)による第二期政権は、同日の発足を目前に座礁した。それからミャンマー国内では、拘束されたスー・チー氏らNLD幹部の即時解放と民主的な政権の継 続を求める市民と、それを強権的に抑え込もうとする国軍および警察からなる治安部隊とのせめぎあいが 既に2カ月に亘り続いている。治安部隊の発砲によるものとみられる市民の死傷者数が増え続けるという 痛ましい事態に陥っていることは周知の通りである。 クーデターは、民政移管した2011年以降、民主化と市場開放による経済発展を遂げてきた同国の時計の 針を戻す非人道的な行為として、国際的に厳しく糾弾されている。クーデターに踏み切った国軍は、迅速 に組閣を行うも、正式な政府として認められたとは言い難い。幹部を拘束されたNLDは連邦議会代表委員会 (CRPH:Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)を創設し、国軍に徹底して対抗する構えをみせる など、ミャンマー内政の行方は混とんとしている。 ミャンマーの経済活動は、クーデター後、物流や通貨供給の遅延、デモによる労働者不足、外出規制な どで停滞を余儀なくされているが、ここでミャンマーの現在の名目GDPを確認しておくと、メコン地域の経 済大国であるタイの約8分の1、市場開放で先行するベトナムの約5分の1の規模に過ぎない。人口規模でベトナムの約6割と劣後するとはいえ、ASEANのなかでも市場開放は2011年と最後発であることが主因である。 ミャンマーの現在の経済規模は、2005年頃のベトナムの規模にとどまるが、ベトナムは2005年以降、輸出 主導で経済規模を5倍近く伸長させてきた実績がある(図表1)。今後、ミャンマー民主化と市場開放が 継続し、インフラ整備とグローバルなサプライチェーンへの参画が進めば、ミャンマーベトナムのよう に発展し得るポテンシャルを有していると考えられてきた。クーデターによって、このシナリオは修正を 余儀なくされつつあり、ミャンマーを有望視してきた日本企業の戸惑いは隠せない。

目下、人命の安全確保が第一に求められる厳しい状況にあり、国際制裁は、市民生活への悪影響に鑑みて限定的なレベルにとどまっているのが実情であるが、既に米欧主体で実行に踏み切られてるミャンマー への国際制裁が、今後どのような方向に進むかは、日本企業にとっても関心の高い事項といえよう。 国際制裁の方向性においては、2017年以降に米欧で批判が高まったロヒンギャ問題を振り返ることが参 考になろう。ミャンマーでは、同年、西部ラカイン州イスラム教徒のロヒンギャ族と警察の摩擦を契機 に両者の対立が尖鋭化、70万人超とされる難民が隣国のバングラデシュに流れ込んだとみられているが、 国連人権委員会や国際人権団体などは、ロヒンギャ族の迫害を主導したのはミャンマー国軍であるとして、 厳しい国軍批判を行ってきた。そこでは、国軍傘下の企業群から国軍への資金流入経路を遮断するという、 資金流入経路に対してピンポイントの制裁を課すことが提言されてきた。 人権重視を標榜して誕生した米国のバイデン政権は、結果的にこの国連人権委員会の提唱を踏襲する形 で、国軍に焦点を絞った制裁を進めようとしているように見受けられる。詳細は後述するが、米国が3月後 半に国軍系の2つの持ち株会社を制裁対象に加えたのはその証左であろう。伝統的に人権重視の欧州連合EU)もまた、米国に足並みを揃えようという姿勢がうかがえる。民主化以降のミャンマーへの援助を最 も積極化させてきた国の一つが日本である。実態は不明ながら表面的には中国が債権残高を段階的に減少 させるなかで円借款によって日本の増加基調は目立っているものの、本年3月までに開催を予定していた 日メコン外相会議の開催をミャンマー軍政の正当性などから見送るなど、態度を硬化させつつある。 このように対ミャンマー国際制裁は、これまでのところ抑制的かつ漸進的ではあるが、着実に包囲網が 強まっており、制裁強化の可能性がある。そこで、本稿では、先行き不透明感が高い中ではあるが、国際 制裁の動向に焦点を当てて、ミャンマー情勢について考えてみることにしたい。


2.ロヒンギャ問題顕在化時に提唱された国軍傘下企業から国軍への資金流入遮断
(1)ミャンマーの財政は、国家歳入の約4割、歳出の約3割を国営企業が占める社会主義的な構造
国軍がクーデターに踏み切った背景には、国軍が2008年に自ら制定した憲法に基づいて2010年に立ち上げた連邦団結発展党(USDP:Union Solidarity and Development Party)が、NLDが政治活動に復帰した後 の2015年と昨年の2度の選挙で大敗したことで、国政のイニシアティブを取れなくなるとの焦燥があった と考えられている。 もっとも、その焦燥だけが、国軍が厳しい国際批判を浴びることが自明なクーデターに踏み切る強い動 機になったかどうかは疑問が残る。2008年憲法では議席の25%は軍人枠と定められており、大統領候補3名 の内1名は軍人議員から推薦され、大統領として選ばれない場合は、軍人議員が副大統領となる。憲法改正 には議席の75%超が必要で、事実上憲法改正はまず行えない仕組みとなっている。国軍は、少なくとも国 政上に必要な基盤は確保しているとみられる。 そのために、国軍のクーデターの背景には、国軍とNLDの間に、何らかの利権を巡る対立があり、決裂したとみることもできるのではないだろうか。国軍は、国政上どのような利権を持っているのだろうか。こ こで、ミャンマーの財政状況を統計上判明する期間でみてみると、歳入の約4割、歳出の約3割を国営企業 が占めていることが目に付く。このことは、黒字の国営企業から、赤字の国営企業に資金を補填 していることを意味している。財政上からみたミャンマー社会主義国の様相が根強く、この国営企業間 の資金流出入の過程に、国軍の利権が内包されている可能性がある。 ミャンマー国軍は、独立以降長らく国家を統治してきた歴史的な経緯から、単なる軍隊ではなく、武力 をもった官僚組織が実態1 との見方があるが、その組織を維持するための資金源は、これらの国営企業による経済活動が一端を担っていると考えられる。

 

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(2)ミャンマー国軍を資金面で支える国軍系持株会社 MEHL と MEC
実際に、国軍は、傘下に多数の企業を擁している。その中核を担っているのが、ミャンマー・エコノミ ック・ホールディングス(MEHL:Myanmar Economic Holdings)とミャンマー・エコノミック・カンパニー (MEC:Myanmar Economic Cooperation)という2社の持株会社である。 MEHLとMECは共に軍人・家族の共済団体として形成された持ち株会社で、傘下に多くのミャンマーを代表 する企業を抱えている2 。実際、両社は傘下にそれぞれ判明しているだけで60社超の企業・関連企業を抱え ており、その分野は、農林水産業から、製造業、サービス業まで実に多様である。 MEHLにおいては、企業数の多さで目立つのが宝石関連である。国際人権団体らが、ひすい、ルビーなど が政府の公式統計に載らず輸出されていると指摘しており、これらは国軍の資金源となっている可能性が 高いと考えられる。MECにおいては、企業数の多さで目立つのが製造業である。食品、鉄鋼、セメント、ガ ラスなど、ミャンマー内需向けが多いように見受けられる。そのため、国軍とNLDの間で、貿易ルートの正 規化や対外開放加速でこれらの国軍系企業からの資金流入を透明化するか否かで、確執があった可能性3 は 否定できない。 国軍系企業から国軍への資金流入を絶たれれば、国軍はその経済的な基盤の一角を失うことになる。MEHL とMEC本体は、2016年まで米国財務省のSDN(Specially Designated Nationals:特定国籍)リストと呼ばれる制裁リストに掲載されていた。当時はドル取引を行えず4 、実質的に国際ビジネスから締め出されていたが、オバマ政権(当時)が、ミャンマー民主化の進展を鑑みて、SDNリスト掲載から削除した経緯がある。2016年以降は、ミャンマー国内におけるカバー産業領域の広さを強みに、この2社は外資企業との取引 を急速に拡大、積極的に外資企業の合弁パートナーとなり、民主化・市場開放の受益を得ていたと考えら れる。 2019年に国連人権委員会がこの2社と国軍と関係の実情に触れたリポート5 を刊行し、MEHLとMECの受益が 国軍に還流してロヒンギャ問題を悪化させていると指摘されたことから、両社をSDNリストに再掲載すべきとの声が高まっていた。しかしながら、2社のすそ野の広さから再掲載は見送られ、外資企業は、取引の 全面的な見直しを徹底することまでには至らなかった。 ただ、今回のクーデターでSDNリストに再掲載されることになり、国軍の動きを抑制するツールとして、 米国は資金流入遮断に踏み込む姿勢を明確にしたといえよう。クーデターでNLDから利権を取り戻そうと した国軍は、結果的に制裁によって利権を失うことになりそうだ。

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3.着実に進む対ミャンマー国際制裁の包囲網
(1)米国は、国軍への資金流入遮断を強化し、同盟国にも協調を求める
ミャンマー情勢は、国連安全保障理事会安保理)において強く非難されているが、実際に制裁に踏み 切るとなると、メコン地域全体の安全保障・経済への影響を懸念する常任理事国の中国、非常任理事国の インド・ベトナムなどのミャンマーの近隣国が慎重な姿勢を示している。安保理内で足並みが揃っていないことから、積極的な介入可能性は安全保障および経済の両面で高まりにくい。 そのため、2国間制裁が中心となり、そのカギを握るのはまずは前述の通り2016年まで制裁を敷いてきた 米国ということになろう。ミャンマーにおいて、輸出市場としての米国のウェイトは低い(2018年、1.9%) ために、米国商務省の禁輸措置の影響は必ずしも大きいとは言えないが、国際ビジネスにはドル決済が不 可欠であるため、その使用可否を握る米国財務省のSDNリストの影響は甚大である。米国は、クーデター以 降、まず2月に国軍関係者12人とMEHL傘下の宝石関連企業3社6 、次いで3月上旬に国軍関係者の親族が経営 関与する6社7 、3月中旬に国軍関係者2人と国軍の団体、そして3月下旬にはMEHL本体とMEC本体をSDNリスト に追加掲載している。 前述したように、MEHL本体とMEC本体の追加は、傘下企業の多さから国軍スポット制裁の効果が大きい。 外資企業にも少なくない影響が及ぶことから、制裁リストへの追加を2カ月近く見送ってきたとの見方も できるが、当面は、その実効性を見極める局面に入ったといえそうだ。また、バイデン政権は、ミャンマー問題には同盟国と協調して取り組んでいく姿勢を示しており、国軍への資金流入遮断を他国にも促す可 能性がある。ミャンマー市民もまた、MEHL・MECに代表される国軍傘下企業の商品やサービスをボイコット する動きがあり、こうした市民の行動とベクトルが一致する点でも、米国は、ピンポイントで国軍関係者 および国軍系企業への制裁を強めていくとみられる。

 
(2)EUも国軍関係者との取引を停止。
貿易面での制裁はオプションとして維持 米国に次いで注目されるのはEUの動静である。EUは、3月下旬にミャンマー国軍関係者11名をEU企業・個 人との取引停止リストに掲載している。国軍にピンポイントの制裁を課している点では、米国と平仄を合 わせているといえよう。 EUは、ミャンマーの輸出先として、中国、タイに次ぐ存在となる。中国・タイ向け輸出品は、 パイプラインを通じた天然ガスが主体であるが、EU向けは縫製品が主体である。EUは、開発途上国である ミャンマーの輸出品に対して、武器を除く全ての品目についての関税を免除するEBA(Everything But Arms:武器以外全て)という税制優遇を付与している。その結果、ミャンマー製品、特に工業化の遅れた 同国の主要輸出品である縫製品の価格競争力は高まっている。 2017年のロヒンギャ問題の顕在化以降、EUは、国軍への制裁の一環としてEBAを停止することも視野に調 査を進めてきた。縫製業は女性ワーカーが多く、EBA停止は市民の収入源に影響を及ぼしかねないという懸 念がある8 。そのため、制裁としてEBA停止が即座に行われる可能性は低いと考えられるが、EUにおいては メード・イン・ミャンマー製品をどのように取り扱うかという議論が、人権上の観点で燻り続けてきたと いう素地はある。 そのため対EU輸出から国軍に資金流入していることが判明すれば、米国との同盟重視という立場からも、 制裁のオプションとして議論の俎上に上がることになるであろう。

 

(3)日本は開発援助の選別という苦渋の決断を迫られることに 翻って、日本の状況を鑑みるにあたっては、対ミャンマー債権の状況を確認しておく必要がある。モノ もさることながら、金融支援を通じた結びつきを強めているからだ。実際近年、残高では中国が最大も徐々 にその規模を減少させてきており、対ミャンマー債権を増加させてきていたのは、国際機関では世界銀行 (世銀)、2国間では日本となっている。日本は、2012年に開催された国際通貨基金IMF)・世 銀の東京総会でミャンマー支援国会議の開催を主導し、延滞債権問題を解消して新規融資の道を切り開いた経緯がある。その後、支援を積極的に行ってきた結果が前述の数値となっているといえる。 既に新規融資の停止の意向を表明している世銀9 やADB10と共に日本も新規の見送りを表明している。日本 としては、市民への弾圧を解かないミャンマー軍政への警鐘という意味では、教育・医療などの人道支援 は継続しつつも、インフラなどのプロジェクトは見直しが求められることは避けられなくなりつつあると いえよう。日本の支援が止まれば、ミャンマーは再び伝統的に内政不干渉姿勢の中国依存の国に戻ってしまうという懸念は残る。一方で、日本が無条件の支援を続けることは、国軍の行為を肯定するという誤解 を与えてしまう危惧がある。国軍へのスポット制裁という米・EUと方向感を重ねるうえでは、国軍への資 金流入の疑義が生じる懸念がある大型開発案件の支援は、当面は停止となる可能性が高まることになろう。 なお、日本企業の進出企業数をみてみると、製造業に次いで多いのが建設業となっている。こ の中には日本の開発援助の増勢を商機と捉えての進出が少なくないとみられ、そこへの影響が懸念される。このように、米国およびEUは市民生活への影響を配慮し、全面的な禁輸、外貨利用停止などは抑制しな がら、国軍への資金流入をスポットで遮断しようと試みており、日本も参画せざるを得ないと考えられる。


4.日本企業は、安全確保に加えて高まるレピュテーションリスクへの細心の配慮が必要に

最後に、上記を踏まえたうえで、日本企業の対応について触れておきたい。国際制裁は、包囲網が強まりつつあることに加えて、ミャンマーに関わる外資企業に対するレピュテーションリスク、いわゆる風評 リスクが高まっていることに留意する必要があろう。 米欧を中心とするミャンマー国軍および傘下企業への目線は、ミャンマー国軍が市民を弾圧する度に厳 しさを増している。国連安保理の介入可能性が高くない以上、ミャンマー国軍に武力で対抗する勢力は見 当たらない。非情な弾圧の終息がみえないなか、国軍との関係が親密であることが風評を大きく下げ、国 際人権団体などから圧力を受ける一因となっている。 さらに、ミャンマー国内では、市民が、国軍および傘下企業と外国政府および外資企業との関係を厳しい目線で見つめている。市民は、国軍との距離で、市民側かそれとも国軍側かの判断をしようとしている 節があり、実際に国軍と親密とみなされた国の企業の生産拠点などが何者かに襲撃されたり、同企業の製 品が市民の不買運動の対象となる事象が起きている。 つまり、ミャンマー国外でも国内でも、レピュテーションリスクは極度に高まっていることを踏まえる 必要があろう。日本政府は、2月21日にミャンマーの安全情報の基準を引き上げ、不要不急の渡航を止める ように推奨している。安全面を鑑みるとミャンマー事業は様子見とせざるを得ないのが実情であるが、そ の際には、ミャンマー国内外で、国軍および傘下企業との関係の整理と市民に寄り添った企業であること を訴求する、丁寧な配慮が求められているといえるだろう。 国軍への資金流入を遮断する国際制裁は長期戦となる可能性が高まっているが、この10年間のミャンマー民主化・市場開放の進展は、国際社会から孤立してASEANの最貧国になってしまったことが、改革の原 動力となってきた。ミャンマーは、民主化と市場開放が続けば成長するポテンシャルを持っている。終息 の光明はまだ見えないが、ミャンマー国軍がその初心に戻るまで、国際制裁の包囲網は続くと見込まれる。