Office Ton Pan Lar

Consideration of International Affairs by Office Ton Pan Lar

対ミャンマー論(日本非公式)

東洋経済オンラインに掲載された近畿大学の柴田教授による2つのArticleを以下、ご紹介。

 

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ミャンマー虐殺、日本政府の対応に広がる失望』

ミャンマー国軍は残忍だ。非武装の自国民に容赦なく暴力をふるう。子供だろうが、女性だろうが、ただの通行人だろうが、目に入ったものに銃口を向ける。これが軍の本質、と同一視されたくないのだろう。欧米を中心とした12カ国の参謀総長や軍のトップが3月27日、「軍隊は自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する」との非難声明を出した。制服組として極めて異例な対応だ。在ミャンマーの大使らが2月に発した国軍非難声明には参加しなかった日本も、今回は防衛省制服組トップの山崎幸二統合幕僚長が名を連ねた。

国軍批判を強める日本政府
ミャンマー国軍の残忍さは、いまに始まったわけではない。学生らによる1988年の民主化運動の際も、僧侶らが行進した2007年のデモのときも虐殺や拷問を常態化させていた。今回との違いは、兵士や警官らの蛮行がSNSによって世界に動画配信されているところだ。国民による抵抗の様子も可視化されている。国際社会が固唾をのんで見守るなかで、非武装の国民が惨殺されている。日本政府もここにきて国軍非難のトーンを強めている。暴力を非難し、アウンサンスーチー国家顧問らの釈放を求める談話の主体を外務報道官から茂木敏充外相に格上げし、3月27日の国軍記念日に駐在武官を派遣することもなかった。岸信夫防衛相も談話を出した。政府開発援助(ODA)の新規案件停止も宣言した。クーデターから2カ月。国軍とのパイプがあり、それを使って事態を改善すると主張してきた日本政府も、エスカレートする暴力と犠牲者数の急増を前に、パイプの機能不全を認めざるをえなくなっているのだろう。

ミャンマーはこれまで親日国と呼ばれてきた。若者を中心にアニメや日本製品、日本料理の人気は高く、旅行先や就労先としての魅力も感じていたとみられる。ところがクーデターを境に日本に対する失望が広がっていると現地の日系企業関係者は証言する。国軍がクーデター後に外相に任命したワナマウンルウイン氏を日本政府が「外相」と呼んだことが瞬く間にSNSで広がり、大きな波紋を呼んだ。その後、日本政府は「外相と呼ばれる人」に軌道修正したものの、「日本はどちらの側に立っているのか」と日本人駐在員が詰問されたり、日本語学習や技能実習生への応募を取りやめるケースが相次いでいる。

日本政府にやれることはある
「日本の『ミャンマー宥和外交』は機能しているか」で触れたように、ミャンマー国軍とのパイプの目詰まりが明らかになったなら、非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか、日本政府の選択肢は2つに1つしかない。しかも、速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。現在、目詰まりはすでに明らかである。とすれば日本政府は一刻も早くミャンマー国民、中でも危険を冒して抗議する若者らに伝わる明確な意思表示をするべきだ。現況、「日本はミャンマー国民の側に立っている」とは受け止められていないと感じるからだ。ではどうするか。日本政府は「人権問題のみを直接、あるいは明示的な理由として制裁を実施する規定はない」(加藤官房長官)との立場だが、やれることはある。それは、継続案件も含めたODAの全面停止のほか、日本企業に国軍関連企業との取引停止を要請すること、さらに踏み込めば、国民民主連盟(NLD)の当選議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)の正統性を認めることだ。口先だけではない姿勢をミャンマー国民にも国軍にも直接的に示すことが肝心だ。

こうした意思表示は同時に日本国民に対するメッセージにもなる。日本はミャンマーに対する最大の援助国で、2019年度はヤンゴンマンダレーを結ぶ鉄道やヤンゴンの下水道などの大型インフラ事業を含め1893億円の供与が決まった。累計でいえば、有償、無償、技術協力合わせて2兆円近い支出をしている。2011年の民政移管後に増加が著しく、5000億円にのぼる過去の延滞債権も放棄した。債権放棄は民主化の進展が前提条件だったはずだが、国軍の暴挙で日本国民の善意が完膚なきまでに蔑ろにされているいま、日本政府は納税者に対しても毅然とした姿勢をみせる必要がある。

ミャンマーに限らず、アジア諸国民主化に逆行する事態や大規模な人権侵害が起きた際、日本はこれまでも人権を侵害された側に寄り添うより、相手政府に宥和的な姿勢をとってきた。クーデターで民選の政府がひっくり返されたり、野党勢力が理不尽で暴力的な弾圧にあったりしても、通り一遍の「懸念」や「遺憾」の意を表明し、お茶を濁してきた。時が経てば何事もなかったかのように遇してきた。ミャンマー国軍に厳しく対応すれば、中国寄りになる、進出した日本企業に累が及ぶ。太平洋戦争時に迷惑をかけた負い目から強く出られないなど、いろいろな理屈はあろう。しかし今回について言えば、ミャンマー国民に広がる強烈な反中感情でその中国にさえ戸惑いが見え、欧米企業は本国からさらに強い縛りをかけられる可能性がある。それらを勘案すれば、日本政府が国軍に明確な措置を取らない理由は見当たらない。あるとすれば、一部関係者の利害にからむものではないのか。国軍とのパイプをつなぐことにより、現地で活動がしやすくなる一部政治家や外交関係者、企業などへの配慮である。

技能実習生と二重写し
日本政府の対応とミャンマー国民の反応を見るとき、状況はまったく異なるものの、私にはベトナムから日本にやってくる若い労働者たちの苦境が重なって見える。外国から「現代の奴隷制度」とまで批判されている技能実習制度によりブローカーに巨額の借金を背負わされたり、滞在資格を得るためだけに日本語学校に授業料という名の高額な「ビザ代」を支払わされたりしている若者たちの存在だ。日本政府が労働者としてきちんと受け入れる態勢を作りさえすれば、不当な利益を得るブローカーや悪質な日本語学校などは排除される。ところが現行制度を維持することで、ブローカーや一部悪質な監理団体、一部の日本語学校の利権が守られる。その結果、借金苦の中で労働者としての権利も十分に守られず、多くの若者らが失望し、日本に恨みに近い感情を抱いて帰国する……。東南アジアの人々が寄せてくれる親日感情や日本へのあこがれは、多くの日本企業、従業員らが積み重ねてきた製品づくりや職業倫理への評価、アニメなどのソフトパワーを含む民間の努力によって培われてきた結果だ。ODAや援助団体の活動などの意味もあった。いずれにせよ日本国民が長年かけて築いた財産だ。それが一部関係者の利益を優先させる日本政府のあいまいな姿勢や不作為によって毀損され、失望が広がるとすれば、日本の将来にとって大きな損失である。ミャンマーの国民から、アジアの若者から日本はどう見えているのか。視点をずらすことの大切さを思う。

 


『日本の「ミャンマー宥和外交」は機能しているか』

ミャンマー情勢が緊迫の度を増している。
2月1日の軍事クーデターに抗議するデモに対して国軍が発砲を繰り返し、2月は20人以上が犠牲となった。さらなる流血も危惧される。国連や欧米各国は国軍を強く非難し、一部で経済制裁を科す動きを強めているが、日本政府の立ち位置ははっきりしない。日本政府は、民主化を阻んだ過去の軍政時代にも制裁から距離を置き、批判も控えて援助を続けた結果、主要国の中で唯一、ミャンマー国軍にパイプがあり、対話ができることを売りにしてきた。しかし、現段階で国軍とのパイプがどのようにつながり、どのような働きかけをしているのか不明である。総選挙の結果を蔑ろにする国軍に強い措置で臨まず、曖昧な立場をとり続ける日本政府の対応はまっとうなのだろうか。

笹川会長のブログに感じた違和感
ミャンマー国軍が権力を掌握した翌日の2月2日、日本財団笹川陽平会長のブログを読んで私は強い違和感を覚えた。クーデターについての所見が以下のようにつづられていたからだ。「誠に残念なことである。今後の事態の推移を見守る必要があるが、まずは拘束者の解放を優先すべきである。また、アメリカをはじめ、各国が早急な経済制裁を実施しないことを願うばかりである。制裁が行われれば、ミャンマーの隣国・中国の影響力が増大するのみならず、日本の外交方針の一つであるインド・太平洋の安全保障の重要拠点を失うことにもなりかねず、日本のこれまでの努力は水泡に帰することになる。アメリカがミャンマー経済制裁に走れば、同盟国の日本は苦しい立場に追い込まれる。ここは何としてもアメリカを説得する日本の外交努力が喫緊の課題となってきた」

ことミャンマーに関して笹川氏は民間人ではない。外務省が指名したミャンマー国民和解担当日本政府代表である。さらに2020年11月に実施されたミャンマーの総選挙で、日本政府の選挙監視団の団長を務めた。日本政府はこの選挙で二重投票防止のために特殊インクを供与するなど約1億8000万円の支援を実施した。選挙結果も「おおむね平穏」(外務省報道官談話)と認めていた。ところが、ミャンマー国軍は「選挙で大規模な不正があった」ことをクーデターの理由に挙げたのだ。経済制裁しないようアメリカを説得するより先に、自ら監視した選挙で大規模な不正があったとする国軍に対して論拠を質し、抗議するのが筋ではないのか。笹川氏はクーデターを主導したミンアウンフライン国軍総司令官と、日本やミャンマーで政府代表として面会を重ねている間柄でもある。クーデターの一報が世界を駆けめぐった2月1日朝、アメリカの大統領報道官がいち早く非難声明を出し、国連のグテーレス事務総長がそれに続いた。夜が明けた欧州からも次々と声明が出たが、日本政府が「重大な懸念」を示し、拘束されたアウンサンスーチー国家顧問の解放を求める外務大臣談話を出したのは同日の午後4時になってからだった。

欧米の共同声明に日本の名前なし
クーデター後、国民の間で抗議活動が広がった。おそらく国軍の予想を超えた規模で展開されているデモに対し、徐々に圧力を強め、実弾使用も辞さなくなっている。こうした事態に対して在ミャンマーの欧米の大使らは2月14日、抗議活動への暴力を止めるように求める共同声明を出した。しかし、日本の丸山市郎大使の名前はなかった。丸山氏は1978年に外務省に入省。ビルマ語研修を含め5度のミャンマー勤務を経験した「ビルマスクール」のトップに立つ専門家だ。対ミャンマー外交になくてはならない人物とされ、軍政時代からキンニュン元首相ら歴代の軍の首脳に食い込み、キャリア組の歴代大使や外務本省からも「無二の存在」と評価されてきた。軍政と親密だったことから、民政移管当初はスーチー氏から疎まれていたものの、スーチー氏のもとに足繁く通い、日本の支援もあって信頼を勝ち取ったとされる。日本政府(外務省)は常々、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)だけではなく、国軍にもパイプがあると主張し、欧米諸国との違いを強調してきた。パイプがいくつかあるとしても、丸山氏がもっとも太いパイプであることは間違いなかろう。日本政府の一貫したミャンマー「宥和政策」に深くかかわってきたキーパーソンといえる。国軍は2017年以来、少数派イスラム教徒ロヒンギャへの迫害で国際的に強い非難を浴び、ジェノサイド(民族大虐殺)条約違反として国際司法裁判所に訴えられている。丸山大使は2019年12月、ミャンマーの地元メディアの取材に対して、「国軍にはジェノサイドやその意思があったとは思わない」「ミャンマー政府も国軍も、すべてのイスラム教徒『ベンガリ』を殺そうとしたとは思わない」と語ったと報じられた。ちなみに、朝日新聞の染田屋竜太記者によると、ベンガリバングラデシュから来た人々を意味し、ミャンマー国籍を与えられていないロヒンギャが「差別的」として嫌う表現だ。

戦前から続くミャンマーとのつながり
ジェノサイドはなかったと断定する丸山氏の発言は人権団体から批判を浴びたが、丸山大使の独断というわけでもない。ロヒンギャ問題でミャンマー政府への非難決議が採択された2019年9月の国連人権理事会で、欧米など37カ国が決議に賛成する中、日本は棄権した。ロヒンギャ迫害に関し、アメリカは2019年7月、ミンアウンフライン総司令官らに渡航禁止などの制裁を科した。日本の防衛省はその3カ月後、同総司令官を日本に招待し、菅義偉官房長官(当時)や茂木敏充外相らが会談、安倍晋三首相(同)も面会している。日本とミャンマーは戦前から深いつながりがある。独立の父とされるスーチー氏の父親アウンサン将軍や、長く独裁体制を敷いたネウィン将軍らを日本軍の特務機関が支援した歴史もある。

ミャンマー(当時はビルマ)は太平洋戦争当時、インパール作戦の舞台となるなど戦時中は同国に苛酷な負担を強いた。戦後、戦時賠償として2億ドルを支払い、その後も政府開発援助(ODA)をつぎ込んできた。2011年に民政移管するまで民主化運動を長く弾圧した軍政に対し、欧米各国が援助を止め、経済制裁を科す中で、日本はその輪に加わらず人道援助などの形でミャンマー支援を続けてきた。日本政府は今回、とりあえずODAの新規案件の停止を検討しているという。このタイミングで新規案件を打ち出せば、世界中から批判されることは明らかで、当然の措置だ。問題は継続中のインフラ案件などを止めるかどうか。そして、制裁に踏み込むかどうかである。

「制裁で中国寄りになる」を懸念
アジア各国で軍や独裁政権民主化を弾圧し、人権をないがしろにしても、日本政府は戦後一貫して制裁など積極的な対応を取ることはなかった。太平洋戦争でとんでもない災禍をもたらした負い目もあったであろう。アジア市場で活動する日本企業への影響に配慮した可能性もある。加えて近年は「中国寄りになる」という理由が頻繁に語られる。欧米と並んで独裁や強権を強く批判し、制裁を科せば、その政権は中国に頼ることになる。日本政府が掲げる「自由で開かれたインド太平洋」構想にも影響するという理屈だ。日本政府は第2次安倍政権発足直後の2013年1月、ASEAN外交5原則を発表した。自由や民主主義、基本的人権など普遍的価値の実現をうたい、「価値観外交」を掲げた。だがこの原則を知る人は、ASEAN内はもとより、日本国内でもごく少数だろう。タイ軍が2014年、民選政権をクーデターで放逐した後、日本政府は他の主要国に先駆けて首謀者であるプラユット首相を日本に招いた。日本の首脳や外交官が、ベトナムラオスカンボジアといった権威主義的政府の首脳と民主主義や基本的人権について語り合ったという話も聞かない。価値観外交は中国に対抗するため持ち出したものだろうが、日本の外交に原則などないことは見透かされている。アジア各国の政府は日中をてんびんにかけている。民主化や人権を問題にしない中国に接近して、インフラ建設などの支援を取り付ける一方、日本にも秋波を送り、人権問題に関心の高い欧米の露払いとして利用する。1989年の天安門事件で、欧米の制裁網に包囲された中国が日本に接近を図ったように、である。ロヒンギャ迫害に関する日本政府の対応は、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)政権や軍を含め、ミャンマーの人口の7割を占めるビルマ族の多数から支持されたとみられる。国際的な孤立感をやわらげたからだ。しかし、今回のクーデターでは国民の圧倒的な多数が軍の暴挙に反対している。民政移管で投票や言論の自由を知った国民は、軍政時代の感性には戻らないだろう。

国軍に広がるデモへの戸惑い
今回のデモは、学生が主体だった1988年や僧侶が中心を担った2007年と雰囲気が違う。公務員や医療関係者にも広がる不服従運動は経済にダメージを与えつつあり、国軍も戸惑っているようにみえる。ここにきて武器使用による弾圧を強めているのは、国際的な批判を浴びようとも他に落としどころを見つける術を知らないためだ。日本政府は長年培ったというミャンマーとのパイプを今こそ機能させるときだ。軍を兵舎に戻し、スーチー氏らを無条件に解放し、国会を開会させるべきだ。軍のメンツもあり、それができないのなら、先の総選挙の票を数え直し、有権者名簿を確認する作業を国際的な監視下で行い、選挙結果を確定させると提案してはどうだろう。あるいはスーチー氏らを解放し、半年以内に改めて国際監視の下で自由な総選挙を実施する。国軍がのめないなら、「選挙不正」というクーデターの理由は権力奪取の方便にすぎないことが明らかになる。軍がこのまま居座り、大量の流血が続くならば、民主化支援を名目に多額の援助をつぎ込んだ日本のミャンマー外交は失敗だったという評価を免れない。対話するだけで状況を変えられないのなら、それは茶飲み話にすぎないし、現場の外交官が心地よく任期を過ごせる以上のメリットはない。パイプの目詰まりが明らかになったなら、選択肢は2つに1つしかない。非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか。日本政府は速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。