Office Ton Pan Lar

Consideration of International Affairs by Office Ton Pan Lar

見抜けなかった不明を恥じている/責任を感じている。前駐ミャンマー大使

以下、日本経済新聞に掲載された樋口建史・前駐ミャンマー大使へのインタビュー記事。私の時の駐在大使が樋口氏だったが、同氏については未だに覚えている。


国軍によるクーデターから2カ月あまり。ミャンマーでは市民らの抗議活動が続き、すでに500人を超える市民が殺害されるなど混迷が深まっている。ミャンマー情勢はどう推移していくのか。日本はどう向き合えばいいのか。前駐ミャンマー大使(元警視総監)の樋口建史氏に話を聞いた。

 

国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー氏と、国軍のミン・アウン・フライン総司令官。大使在任中に2人の「当事者」と何度も会談するなど、双方の事情に通じた樋口氏が発したのは「事態は悪化の一途をたどっており、好転する展望は持てない。それを前提にした決断が必要になる」という厳しい言葉だった。

 

――市民に対する残虐な行為が、なぜここまでエスカレートしているのか?

「国軍は本気で自分たちが正義だと思い込んでいる。武器で鎮圧する以外の術(すべ)も知らない。2014年にタイで起きたクーデター後の対応処理をモデルにした甘い見込みが外れ、先鋭化しているように見える。1988年の民主化運動を軍が鎮圧したときでさえ外国人には手を出さなかったが、今回はNLD政権に協力したオーストラリア人が拘束され、アメリカンセンターに銃弾が撃ち込まれるなど、一線を越えている」

「ミン・アウン・フライン総司令官とは大使在任中、個別の会談を含め20回近く会った。政治的野心は感じたが、ロヒンギャ迫害問題で話した際には現場の写真を示しながら国軍の立場を丹念に説明するなど、良識のある信用できる人物だと思っていた。だが今回の事態を見れば、国軍にも彼自身にも国を率いる資格がまったくないことは明らかだ。見抜けなかった不明を恥じている

 

――この先の展開をどう見ているか?

「残念ながら、明るい展望は描けない。想定される事態の一つは、国軍が弾圧と殺りく、大量の身柄拘束で抵抗する民衆に恐怖を植え付け、ねじ伏せてしまうというものだ。そのうえで経済対策と次の総選挙の日程を打ち出すつもりだろう」

「総選挙を経て国軍と一体の政権をつくってしまえば、欧米や日本も『民主政権』としてある程度認めざるを得なくなる――そう読んでいると思う。もちろん選挙で勝つためには、スー・チー氏を排除しNLDを非合法化するといった手段をとるはずだ。それまでは国際社会からいくら非難されようと断固譲らず、隣国や東南アジア諸国連合ASEAN)を融和的な姿勢に引き込みながら、耐えしのごうと考えているのだろう」


――総選挙を実施すると表明したところで、事態が収まるとは思えないが?

「総選挙を経て国際社会に認められるというのは、『予測される事態』というより、国軍がその可能性にすがりついているシナリオ。そこでもう一つのあり得る予測は、国家統治が機能しない混迷状態。市民の抵抗がさらに拡大すると40万人の国軍と7万人の警察では制御し切れなくなる。10年間も民主社会の空気を吸ってきた国民は、何をされようと軍政を受け入れないのではないか。加えて国境地域の少数民族武装勢力も反国軍の姿勢を取り始めており、今後、戦闘が頻発する可能性がある」

「こうして国軍が完全に手詰まりとなり、総司令官の求心力が低下していけば、軌道修正を図るか、退役するか、軍内部でクーデターが起きるか。最悪のケースとして、かつての軍政時代のような鎖国状態に向かうこともあり得る」

 

――日本はどう対応していけばいいのか?

「甘い見通しや客観性を欠いた思い込みを捨てるのが大前提。一般論ではなく、国軍の偏狭な本質や現地の情勢をよく見て事態の推移を冷静に見通す必要がある。その分析のうえに立って、対応を判断しなければならない」

「対処にあたって日本が大事にすべきなのは、もちろんミャンマーの人たちの人権であり、命。ミャンマー国民は日本に圧倒的な信頼を寄せている。政府はミャンマー国民の命をどうやったら救えるか、そのために何ができるかを最優先で考える。そのうえで、日本の国益を守るための対応が求められる」


――日本の国益とは、具体的には?

「『アジア最後のフロンティア』といわれたミャンマーには400社を超える日本企業が進出している。日本政府もそれを後押ししてきた。そのことは私自身責任を感じている。今回のことで、ミャンマーはいつでもクーデターが起き得る、カントリーリスクの高い国になってしまった。まずは、いま困難に直面している企業をどう守れるか、だ」

「現状は、すでに健全なビジネスができる状況にない。もちろん判断するのはそれぞれの企業だが、撤退まで視野に入れ決断を迫られている企業の相談に対しては、政府も大使館もできる限りの対応をしてもらいたい。最悪を見据えた掛け値のない情勢認識が共有されるべきだと思う」

「政府開発援助(ODA)の見直しも避けられない。2011年以降、積み上がった円借款は1兆円規模に達している。新規案件は凍結するとして、進行中の案件をどうするか、またどうやって資金を回収するか。いずれも難しい問題だが、支援する前提条件が覆った今、抜本的な見直しが迫られる。国軍との防衛交流なども再検討せざるを得ないだろう。現地に残っている邦人約1600人の安全も、帰国を含めて見極めを急がなければならない」

 

――日本政府は国軍にも独自のパイプがあるので、それを生かして調停すべきだ、といった指摘もあるが?

「現状では、日本は国軍の存続計画から外れているのだと思う。仮に会談を申し入れたとしても、宣伝に利用されるだけで聞き入れるとは考えにくい。逆にいきり立たせることになりかねない。だが国の運営が破綻し国軍が追い詰められる事態になれば、接触し、プランを示すことができるのではないか。そのためにも米国と認識を共有し、制裁面でも足並みをそろえておく必要がある」

 

――厳しい態度で臨むと、国軍を中国側に追いやる結果になる、と懸念する声もあるが?

「それほど単純な構図ではない。中国にとって内政不干渉は絶対譲れない一線だが、今回のクーデターは中国にとってはむしろ迷惑で、苦々しく思っているはず。国軍の背後に中国がいると信じるミャンマー国民は多い。このため反中感情が高まり、石油、ガスのパイプラインなどミャンマー国内の中国の権益が危うくなっている。中国にとっては自国の権益を確保することがすべて。そのためには手段を問わないが、目的に照らして合理的な行動をとるはずだ」

「中国の動きをあえて読めば、国際的な非難が集中する市民の殺害をやめさせ、国軍がもくろむ次の総選挙を国際社会が受け入れざるを得ない環境を整えようとするだろう。そのためには内政不干渉になじみのあるASEANを取り込み、中国に歩調を合わさせようとするのではないか。少数民族武装勢力への影響力の行使も考えられる」

「ただ忘れてならないのは、国軍自身が、中国以外の選択肢がない状況に戻りたいとは考えてはいないということだ。日本も国際社会も、この点を念頭において行動すべきであろう」

 

樋口 建史(ひぐち・たてし)
1953年生まれ。愛媛県出身。78年東大法卒、警察庁入庁。北海道警本部長、警察庁生活安全局長、警視総監などを歴任。2014年~18年、駐ミャンマー大使。