Office Ton Pan Lar

Consideration of International Affairs by Office Ton Pan Lar

ミャンマー・シャン州南部少数民族組織の生存戦略

北海道大学の境界研究ユニットが発行する「境界研究№10(2020)」に峯田史郎氏による「東南アジア境界地域における武力闘争へのマルチスケールと人間の領域性からの接近─ ミャンマー・シャン州南部少数民族組織の生存戦略 ─」が掲載された。ミャンマー国軍によるクーデターが勃発したタイミングではあるが、ミャンマーのそもそも論を考察するにあたって、有意義な論文と考えるため、以下ご紹介まで。

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はじめに
2016年8月31日から一週間の日程で開催された「21世紀パンロン会議」は、ミャンマー 政府と少数民族組織との間で60年以上に亘り継続している武力を伴う対立を解消する対話 の場として新たな時代の到来を期待させた。ミャンマーでは、その前年の2015年11月に実施された総選挙で国民民主同盟(NLD: National League for Democracy)が圧勝し、軍事政権が半世紀ぶりに終わりを告げた。さらに、総選挙直前の10月にはミャンマー政府と少数民族 組織との間で全国停戦協定(NCA: Nationwide Ceasefire Agreement)が締結され、武力対立収束 に向けての新たな局面を迎えた。しかし、この協定に署名したシャン州復興評議会/南シャン州軍(RCSS/SSA: Restoration Council of Shan State/ Shan State Army-South)と国軍との戦闘 が同年12月に再開されるなど、武力紛争の全面的解決への道のりは遠い状況にある。ミャンマーにおけるこれらの武力対立は、他国と境界を共有する国家周縁部で発生していることが特徴である。ミャンマー国内で発生してきた武力紛争の当事者には、タイ国や中国との国境付近に拠点を置くシャン民族の組織以外にも、例えば中国付近で戦闘を継続するカチン民族、タイ国との国境に近い場所を管理するカレン民族などを挙げることができる。本稿では、これらの少数民族組織が、自らの活動を維持する方法を明らかにすることを目的とする。そのなかでも、冒頭に挙げたRCSS/SSAを事例として少数民族組織の生存戦略を検討する。RCSS/SSAが拠点とするロイタイレン(Loi Tai Leng)は、ミャ ンマー・タイ国境上に拠点を構えているため、戦略的にみて防御の面では優位にある。他方で、後方支援にあたる物資輸送については制限されている。東南アジア大陸部の国家間 や、これらの国々と中国との国境地域に居住する少数民族組織は、周辺諸国、特に中国の政策や経済発展を背景にして、その開発や交易、投資、観光から何らかの影響を受けてきた。少数民族組織は国境を通過する人、物、金、情報、技術を主体的に選択し、したたかに多様な生存戦略を練っている。

このような状況下にある少数民族組織が武力を用いた闘争を選択し、継続できる理由を明らかにするためには、これまで国際政治学が依拠してきた分析単位である国家領域についての再検討を要する。少数民族組織の活動は、これまで国際政治学が所与としてきた国境のあり方を相対化し、「領域のエッジ」としてそれ以上展開のしようがないように見える 国境の意味を変化させている。本稿で取り上げるRCSS/SSAは、国家の軍隊が国境を越えて武力展開することが不可能なことを逆手に取り、柔軟にタイ国との国境を利用しながらミャンマー政府や他の少数民族組織に対する闘争を継続してきた。さらに、少数民族組織へ外部からの影響から生じる緊張関係に注目する必要がある。つまり、非国家行為主体であるRCSS/SSAが国家への武力闘争のために、国家領域を相対化し、外部との関係を築く姿を観察できる。この観察のために、本稿では、政治地理学の「マルチスケール(multi-scales)」と「人間の領域性(human territoriality)」の分析枠組みを援用する。その際に、国家の硬性空間(hard space)に対し、少数民族組織が管理を主張する領域が発現する軟性空間(soft space)に着目しながら、境界地域において重層的に存立する権力実態を検証する。これらを考察するために、まず次節にて、先行研究および「マルチスケール」と「人間の領域性」に関する本稿の分析の視角を整理する。続いて、第2節では、武力闘争の経緯を整理することで、シャン州において国家スケールで行使される領域性と少数民族組織が管理を主張する領域性のスケールの政治を検証する。第3節では、RCSS/SSAの生存と武力闘 争継続を可能にする外部との関係に注目する。そのために、(1)国境を管理するタイ国軍との関係、(2)タイ(Tai)系言語グループとの関係、(3)反麻薬政策の宣伝による国際社会との関係の三つに分けて整理する。そして、最後に、RCSS/SSAが形成するスケールに発現する領域性がミャンマー政府との関係性において、スケールの政治が武力闘争へと展開していること、さらに、タイ国軍やタイ系言語グループ、国際社会との接触が、RCSS/SSA の生存を維持する戦略となっていることを結論付ける。なお、本稿でのRCSS/SSAとロイタイレンに関する記述は、文献を明示したものを除き、筆者が2012年5月、2014年2月に実施した現地での聞き取り調査、およびRCSS/SSA 外交部関係者へのe-mailとSNSを利用した調査に基づく。

1. 先行研究と分析の視角
1.1 先行研究  
東南アジア大陸部の境界に関する研究は、(1)国境空間の重層性について、近代国家成立過程に注目した研究、(2)国家以外のスケールとして、少数民族の生活・行動様式に着目する研究、そして、(3)国家と少数民族との間の武力紛争に焦点を当て、国家スケールを相対化する研究に大別できる。
まず、(1)地図上で任意に区分された国境線の内側で主権が均一に行使されるという近代国家モデルが、東南アジア大陸部においていかに受容され、現実政治を規定してきたかについての研究である。これについてトンチャイ・ウィニッチャンクンは、タイ国における近代国民国家の形成過程を事例に「地理的身体(geo-body)」概念を用いて論じた。前近代的な伝統的国家の周縁部では、統治する主体の権威が重複する権力の図式である「マンダラ政体」と呼ばれる空間がもともと存在し、近代国家領域は、この空間に線を引くことで確定されてきた。この確定作業は、中央政府から見た周縁の囲い込みの歴史的過程である。トンチャイの研究は、東南アジア大陸部で伝統国家が存在してきた空間と近代国家の空間とが層を成していることを示している。次に、このような中央政府からの見た周縁に関する言説が成立することとは別の視点として、国家の周縁部において、国家による実際の統治が有効に機能しているかということも考慮に入れる必要がある。この視点が(2)国家と東南アジア大陸部の国境を跨いで生活する少数民族の行動様式についての研究に該当する。以下の研究は、少数民族が形成する スケールを示している。山地民と国家との共存性を描くクリスチャン・ダニエルスらによる研究は、この分野における研究の豊富さを物語っている。また、アレクサンダー・ホ ルストマンらの研究は少数民族の視点からナショナルヒストリーを掘り起こそうという 「周縁の中心化」の試みである。タイ北部と国境を接するミャンマー・シャン州およびその周辺に跨って居住する少数民族に関していえば、片岡樹が国家による国家統合への動きに対し、逆行する動きへの考察として、タイ国の山地民政策の表と裏の運転原理について議論した。  最後に、(3)武力紛争に焦点を当て、国家スケールを相対化する研究に、国際政治学、国際関係論の立場から東南アジアの境界を巡る武力紛争に焦点を当てた山田満の研究が挙げられる。また、ミャンマー政府と少数民族組織との間の和平に関する研究も多く見られる。たとえば、五十嵐誠は、全土停戦に向けたミャンマー政府と少数民族組織の交渉過程 を整理している。このような研究のなかで、本稿と同様に武力闘争を継続しているRCSS/SSAを中心的な 行為主体として取り扱った研究は多くない。ただし、アンポーン・ジラッティコーンによるRCSS/SSAのマスメディア戦略を通じたシャン・ナショナリズムについての研究を挙げることができる。彼女の研究は、文化人類学の立場からシャン州から離れて暮らす人々 との共有意識がWebサイトやビデオCDを通じて、いかに維持されているかについて論じ ている。しかし、ジラッティコーンの研究においても、国境空間の重層性に関する記述は明示的ではない。そこで本稿では、国境空間の重層性に注目し、政治地理学のマルチスケールの 視点と人間の領域性からのアプローチを援用し、少数民族組織としてのRCSS/SSA生存戦略を論じる。少数民族組織の生存戦略を論じる際、その活動範囲が、時間・空間的に形成される過程に注目しなければならない。国家を分析単位とする既存の国際政治学では、中心への求心力を分析の主眼とするため、国家領域から漏れ出て、周辺化される遠心力についての分析がおろそかになる。つまり、本稿に照らして考えると、国家と非国家行為主体である少数民族組織との内戦という「国家領域内部」に視覚化された構図と、実際には、「複数国家の跨境空間」に展開する少数民族組織の生存のための駆け引きという事実にはズレがある。 国際政治学へ「新しい社会単位」の考え方を提唱した多賀秀敏は「主権国家からなる国際社会」という一義的で形式的な視点を批判的に分析し、国際社会の切り取り方や焦点の合わせ方の多様性を主張した。これは、形式重視の視点から、国家とは異なる規範で行動 する主体が形成する空間に注目した実態重視の視点である。この実態重視の視点は、川久保文紀が指摘するように国際政治学が伝統的に依拠してきた「国境の認識論的・存在論的 前提」を脱却することの重要性とも共通する。国家のみが地表を覆うことで形成する空 間ではなく、その空間の重層性へ焦点を合わせる必要がある。つまり、国家と国家とを仕 切る国境は、国家以外の社会単位によって、その「地理的な場所性の意味が変容しており、国境を重層的な空間として理解する必要性」がある。さもなくば、固定的な国境概念に基づいた視点では、ジョン・アグニューのいう「領域の罠」に陥ってしまう。 ここに本稿において既存の国際政治学だけではなく政治地理学を援用する理由がある。なぜなら、少数民族組織が影響力を行使するスケールと異なるスケールとの緊張関係を明らかにするためである。ボーダースタディーズを推進する岩下明裕が指摘するように、国際政治学において、権力や政治を語るときに、水平的な地理的変化と垂直にも広がる空間事象とを意識する研究が共有されていない。またEUマクロリージョンを国際政治分野から研究する柑本英雄は、国際政治学が政治地理学の「地域」概念の議論から学ぶべき点について、「これまで国際政治学の地域研究者がおろそかにしてきた『地域の属性』と『境界』という二点の確定作業である」と述べている。地域の属性を確定し、その属性から周辺 との境界を画定する、あるいは画定できないことを議論の視野に入れることで、その地域そのものの特質を明らかにし、その上で、国家間関係のような水平的権力関係だけではなく、多様な行為主体によるスケールの垂直的な権力関係を明らかにする必要がある。少数民族組織が境界地域における生存戦略を明らかにするためには、これまで国際政治学が依拠してきた分析単位である国家領域を所与とするだけではなく、少数民族組織のスケールを設定していき、その上で、異なるスケールとの緊張関係に注目する必要がある。

1.2 マルチスケールの視点と人間の領域性  
国家領域を所与とする空間認識では処理しきれない空間の分析には、政治地理学で用いられる「マルチスケール」と「人間の領域性」の視点とを援用し、少数民族による空間制御の 方法論を詳らかにする必要がある。まず、「マルチスケール」の視点に関して、本稿で用いるスケールとは、地理的スケールを意味している。これは、地図を製作する上での縮尺を意味する地図学的スケールや、研究上の操作的に設定される方法論的スケールとは異なり、「特定の社会的プロセスをとおして形成される空間の単位や規模」である。この地理的スケールは、グローバルスケール、リージョナルスケール、流域スケールのような特定空間を示している。国家間関係では、国家のスケール内での水平的な政治が展開される。国家スケールと少数民族組織が形成するスケールのようにスケールが異なる場合には、スケールを飛び越えた垂直的な関係での政治が繰り広げられる。これが「スケールの政治(politics of scale)」に発展する。このような状況は国境を跨いだ空間ではより顕著な特徴として浮かび上がる。 つまり、スケールの政治によって、国家領域で仕切られてきた空間が再構築されていくの である。再構築の過程では、空間は不断に変動し錯綜的な状況を創り出す。次にロバート・サックが提唱した「人間の領域性」は、「個人や集団が地理的区域を設定する、あるいは地理的な管理を主張することによって、人・現象・関係に影響を与えたり、制御したりしようとする空間的な戦略」と定義されている。山﨑孝史が指摘するように、サックは、人間がどのような目的や意図に沿って、空間を認識・生産・利用・制御し、反 対に人間が空間に影響・制御されているのかを時間的・空間的な文脈から検討しなければならないと考え、人間と空間との相関関係を理論化した。人間の領域性は「なわばり」とも翻訳されることもあり、社会的で意図的な行動である。ここで、本稿で使用する区域(area)、領域(territory)、領域性(territoriality)の違いについて説明しておきたい。まず、区域は地表の一部を示す。領域は地表の一部には変わりないが、明確に線引きされ、他者に対して排他的な空間である。これに対し、領域性とは、明確に線引きされているかどうかにかかわらず、行為主体が管理を主張し、意図に沿って空 間を制御する試みを意味する。この人間の領域性が空間に対して行使される時、次の三要素が重要となる。①人・物に 対してではなく、区域を分類する(区域による分類)、②境界などを設定して、領域があることを何らかの形で伝達する(伝達)、③境界や領域によって行動への強制が働く(強制)の三点である。これを本稿の目的に沿って述べると、少数民族組織が形成するスケールで領域性が発現する際、まず①少数民族組織は、自らが管理する区域を設定する。国家スケールから離脱し、分離独立を求める場合と、国家スケール内で自決権を求める場合とに分けられる。ただし、自決権を求めた場合、②少数民族組織が管理を主張することによる区域設定にとどまる。その管理を主張する区域は国家から公式に認められないため、必ずしも明確に区切られたものではない。武力闘争の場合、少数民族組織と敵対する他者とがそれぞれ主張する区域は、地理的に明確に区分できないからである。そのため、国家スケール内で少数民族組織同士が争う場合には水平的な政治が展開され、国家と少数民族とが争う場合には、異なるスケールとの垂直的な政治へと発展していく。後者にはジャンピングスケール (jumping scale)を確認できる。③政治の展開によっては、武力による強制力が用いられる。ただし、少数民族組織の生存戦略は、自身のスケールで発現する領域性だけでは完結しない。どのような行為主体であれ、他者との相互行為を常に保持する必要がある。すなわち少数民族組織が武力闘争を継続しながら生存していくためには、自らの区域を取り巻く境界に何らかのチャネルを確保しておかなければならない。カッツェンスタインが「好ましからざる圧迫に対する緩衝地帯でもあり、あらたなチャンスを見つけ出すための基盤」と表現した「多孔的地域(porous region)」のように、境界に孔を確保しておく必要がある。この孔を通じて異なるスケールを形成する異なる行為主体との関係性を維持するのである。少数民族組織が生存のために境界に孔を確保しておくことについて、「硬性空間(hard spaces)」と「軟性空間(soft spaces)」の腑分けにも注目する必要がある。硬性空間では、国家が排他的な領域管理によって、境界の透過性(permeability)を利用し、空間を管理する。 これに対し、曖昧な境界(fuzzy boundaries)を伴う軟性空間は、硬性空間と対立するものではなく、むしろ同時並行的に機能する。この空間では、境界は行為主体が求める機能によって必要に応じて引き直され、境界の意味が変容していく。国際政治学の伝統的な国境認識では、国家領域の境界は線形として描かれる。しかし、その実態は、公式の国境ゲート周辺のように硬性空間が単独で機能する場所もあれば、少数民族が自由に国境を越えることができる場所では硬性空間と軟性空間が層を形成している。後者では、国境地域の個別の場所において、軟性空間で境界が常時引き直されたり、境界の意味が変容したりすることによって、硬性空間に孔が空いているように認識されるのである。言い換えれば、軟性空間は常に伸縮している。国境に近接する場所に拠点を置き、区域を管理する少数民族組織であるRCSS/SSAは、 固定的な硬性空間と同時に存在する軟性空間の伸縮とを生存戦略に利用している。国境を跨いだ空間では、少数民族組織の領域性が発現する空間によって、国境で仕切られてきた空間が再構築されていくのである。再構築の過程では、硬性空間と軟性空間によって国境空間は不断に変動し錯綜的な状況を創り出している。本稿では少数民族組織が生存していくために、武力闘争を選択し、継続しうる理由の検討を、以下の二点に分けて論じる。まず、ミャンマー政府と少数民族組織の垂直的な政治を、スケールの政治として検討する。次にRCSS/SSAの生存を可能にするための外部との関係を整理する。そのために、(1)国境を管理するタイ国軍との関係、(2)タイ系言語グループとの関係、(3)反麻薬政策の宣伝による国際社会との関係の三つに分けて検討する。つまり、RCSS/SSAの管理する区域では、垂直的に展開する政治によって発生した武力闘争の中で、軟性空間がいかに少数民族組織の生存を可能としているのかを検討する。

2. シャン州における少数民族組織の「人間の領域性」が発現するスケール  
本節では、シャン州において国家スケールと少数民族組織の領域性が発現するスケールとの間での相互行為について、歴史的過程を検討する。ミャンマー独立後、中央政府への少数民族組織による対峙の歴史的過程は、シャン州内に多くの武装組織の登場をもたらした。まさに群雄割拠といえる状況である。その過程で、それぞれの少数民族組織が区域を定め、管理を主張し、強制力としての武力を行使している。このシャン州内での歴史的過程を経て、RCSS/SSAはシャン州南部の一部区域を実質的に管理するに至った。これはRCSS/SSAの領域性が発現するスケールと、ミャンマー政府の主張する国家の一州としてのシャン州を含む国家スケールの領域性との垂直的な関係において、武力闘争が発生していることを意味する。ここでRCSS/SSAという名称について説明しておきたい。RCSS/SSAは政治部門であるシャン州復興評議会(RCSS)と、軍事部門である南シャン州軍(SSA-S)から成り、この双方を合わせた略称として使用されている。SSA-Sは通称で、正式にはシャン州軍(SSA: Shan State Army)としているが、シャン州北部に本拠を構え、同様に自らをシャン州軍と名乗る北シャン州軍(SSA-N)と区別するため、このように「南」を付与して南シャン州軍と呼ばれている。つまり、シャン州南北をそれぞれ拠点とする少数民族組織が、もともと存在していたシャン州軍を間接的に引き継ぐ形で、各々シャン州軍を名乗っているのである。本稿 で対象とするのは、1996年に結成されたシャン州南部を拠点とする南シャン州軍である。

2.1 RCSS/SSAの成立までのシャン州内の歴史 RCSS/SSA結成までのシャン州内の歴史はやや複雑である。英国の植民地時代を経て、1948年のミャンマー独立から10年が経過すると、シャン州内でもパンロン協定で認められた連邦国家からの離脱権を行使する機運が高まった。つまり国家による中央集権化という封じ込めに対して、国家が行使する領域性からの分離を主張するものである。独立以 後、シャン州内ではビルマ民族に対するシャン民族の立場が平等ではないことへの不満が高まってきた。ただし、武力による抵抗の直接の原因は、1949年の新中国成立に伴い、中国共産党に 敗北した中国国民党軍がシャン州に入り込んだことに対するミャンマー政府の対応である。1950年代には、中国国民党軍は、東南アジアへの共産主義の影響を懸念する米国中央情報局(CIA)のタイ国を経由した支援を後ろ盾に活動していた。こうした状況に対し、ミャンマー政府はシャン州への統治を強化し、シャン州の三分の一に戒厳令を施行した。これを中央政府による支配強化の試みとみたシャン民族は1958年5月に武力による抵抗を開始した。この頃から、後に麻薬王と呼ばれ、RCSS/SSAの成立に関係するクンサ (Khun Sa)が、中国国民党軍による訓練を受け、小隊を結成し活動してきた。1960年代に入り、ミャンマー政府に対し抵抗する過程で、シャン民族の間で様々な武 装組織が結成されてきた。1964年には、それまでの組織を合併し、シャン州軍(SSA: Shan State Army)が結成された。シャン州軍はシャン州内の人々を訓練し、勢力を拡大していったが、常に武器の不足に悩まされてきた。同時期の1962年にクーデターによって政権を奪取したネウィン(Ne Win)は、ビルマ共産党少数民族による反政府活動への対応策として、国軍の正規部隊では対処できない区域に民兵隊を導入した。この民兵隊はシャン州内での土地の支配を中央政府によって認められるようになる。クンサの部隊もミャンマー国軍により民兵隊として認められ、見返りと してシャン州内のケシを栽培する土地や、アヘンやヘロインの輸送経路の使用許可を黙認された。これにより、クンサは、麻薬取引による利益で近代的な武器をタイ国の闇市場から購入し、強力な部隊を作り上げていった。ミャンマーラオス、タイの国境を跨る「黄金の三角地帯」と呼ばれるケシ栽培の盛んな一帯で、クンサは麻薬取引をビジネス化していくこととなる。ところが、1969年にクンサは豊富な資金を背景とする勢力拡大、およびシャン民族の正統な組織を標榜していたシャン州軍との接触中央政府によって危険視され、ミャンマー政府により逮捕された。 1970年代には、シャン州では三つの組織が異なる役割を担った。シャン州軍は資金不足と、米国からの支援が欠如したため、中国からの武器を得るためビルマ共産党に頼るよう になる。クンサは1973年に釈放され、タイ国領域内を拠点にしてシャン連合軍(SUA: Shan United Army)を率いるようになった。クンサの釈放には、クンサの部隊が1971年にソ連人 医師を誘拐し、ビルマ政府に対しクンサの釈放を要求する事件が関係している。その際に はタイ国軍将校が仲介した。 1980年代に入り、新局面を迎えた。クンサが率いるシャン連合軍は、1982年にタイ国の防共政策の転換という国境政策の変化によって、一時的にミャンマー領域内へ押し戻されたが、一年後、国境政策の緩みを利用し、再度タイ国領域に拠点を構える。その後、シャン連合軍がタイ国領域内でシャン統一革命軍に軍事的圧力をかけた結果、1985年には、シャン連合軍がシャン統一革命軍を傘下に入れ、さらにシャン州軍の一部が参加したモン・タイ軍(MTA: Mong Tai Army)が新たに結成された。モン・タイ軍は、米国CIAの支援を背景にクンサの指揮の下で勢力を拡大し、麻薬取引を通じた資金で軍備を増強することとなる。モン・タイ軍は、大義名分としてシャン民族の土地を分離独立することを目的に据えた。麻薬ビジネスによる利益を挙げることだけではなく、シャン民族による国家建設を標榜し始めたのである。1990年代初頭、ミャンマー政府軍は、少数民族組織に対して大規模な攻撃を行った。長年の武力闘争による疲弊とタイ国からの支援の停止、そしてタイ国の国境管理の厳格化によって、多くの少数民族組織が1994年にミャンマー政府との停戦に合意した。冷戦終結を受けて、経済成長を目指すタイ国はミャンマーとの貿易に鑑み、国境周辺の安定とミャンマー政府との友好関係を求めるようになった。そのような状況の中で、1990年代半ばになると、最大二万人の兵士を抱えたモン・タイ 軍が解体する時期を迎えた。96年に、クンサが突然ミャンマー国軍に投降したのである。この背景には、米国の政策転換によりタイ国の国境政策が変更され、麻薬ビジネスからの収入が著しく減少したことが理由として挙げられる。また、麻薬ビジネスの国際的な取 締強化によって、クンサが米国から国際指名手配されたことも原因である。モン・タイ軍は、クンサの投降以前に離反が相次ぎ、大きく二つに分裂した。一つはシャン民族の解放を大義名分としたままで麻薬ビジネスを優先するクンサに批判的な将校が モン・タイ軍を離れ結成したシャン州民族軍(SSNA: Shan State National Army)である。この組織は、クンサ投降以前にミャンマー政府軍と停戦協定を締結した。もう一つが、クンサと行動を共にしていたヨートスック(Yawd Serk)がクンサとの投降を拒否し、1996年に結成した南シャン州軍(SSA-S)である。ヨートスックはモン・タイ軍の主流派によるミャンマー政府との停戦に反対し、自治権獲得のために抵抗を継続することを決めた。ゲリラ活動を続けてきた南シャン州軍は、1999年末、ミャンマー・タイ国境山岳地帯のロイタイレンを本拠地とした。その後、2000年に南シャン州軍は政治部門であるRCSSを設置し、ヨートスックが議長に就任した。ここにロイタイレンがRCSS/SSAの拠点となったのである。シャン州におけるRCSS/SSA結成までの歴史は、英国から独立したミャンマーが中央集 権化を進める過程において、国家スケールと少数民族組織の領域性が発現するスケールとの間で垂直的に政治を展開していることが分かる。ただし、その過程では、シャン連合軍 のように、少数民族組織が国家スケールと層を成していた空間の伸縮性を利用し、一時的 に隣国の領域に染み出るように拠点を移す現象も生じた。

2.2 テインセイン政権とRCSS/SSA
RCSS/SSAミャンマー政府に対し求めるものは、フェデラル連邦制下での自治権の獲得である。フェデラル連邦制とは、ミャンマーが目指すべき連邦制(federalism)として少数民族組織が主張するミャンマー政治での用語である。ミャンマーでは、独立時から国名が変遷する際にも一貫して連邦(union)という語が冠されてきた。それにもかかわらず、 ミャンマー政府による中央集権的な体制が継続するなかで、少数民族組織は、自治権の獲得や自由・平等を求めるフェデラル連邦制の確立を要求し、これこそが「真の連邦制」であると主張してきた。RCSS/SSAは、結成以来、シャン州民族軍の一部を傘下に置くなどして勢力を増強してきた。ミャンマー平和モニターの推計によると、兵士数は8,000人強である。2009年までにミャンマー・タイ国境沿いに五つの拠点を構えており、その中でもロイタイレンに RCSS/SSAの本部が置かれている。 2011年に入り、ミャンマー国内に変化が訪れた。テインセイン(Thein Sein)大統領による新政権が樹立され、政治改革を実行し、多くの政治犯を釈放した。マスメディアへの検閲も緩和され、労働組合の結成、ストライキ決行も許可されるようになった。さらに新政権は、少数民族組織との和平協定へむけた対話を開始した。同年12月、テインセインとヨートスックはタウンジーで会談し、ミャンマー国軍とRCSS/SSAの間で公式の停戦協定に署名した。それにもかかわらず、この停戦協定が結ばれて以降も、シャン州内で両陣営の前哨地で小競り合いが続き、散発的に戦闘が発生することとなる。  テインセインは、少数民族組織との武力紛争を解決し、国内和平の実現を就任後の最重要課題として位置づけた。中央政府は反テロリスト法に基づく非合法組織として認定している17組織と個別に和平交渉を進め、そして2015年10月15日に、全国での停戦を包括的に宣言する全国停戦協定を、中国、インド、タイ国、日本、EU、国連代表の立ち合いのもと、首都ネピドーで締結することとなった。しかし、この協定に署名したのは、RCSS/ SSAをはじめ、カレン民族同盟カレン民族解放軍平和評議会(KNU/KPC: Karen National Union/Karen National Liberation Army-Peace Council)、チン民族戦線(CNF: Chin National Front) などの八組織にとどまっている。ミャンマー政府は全国停戦協定への署名に先立ち、 RCSS/SSAなど三組織を非合法組織リストから削除した。全国停戦協定に署名しなかった 組織は、政府がフェデラル連邦制への確約を示していないこと、17組織すべてが調印する 見込みのないことを調印しない理由に挙げている。本節で見てきたように、RCSS/SSA結成までのシャン州内の歴史は、いくつもの少数民族組織が、分離独立あるいはフェデラル連邦制下の自治権の獲得を求めて、ミャンマー政府に対峙するものであった。少数民族組織が生存するために武力闘争を選択するのは、国家による中央集権化という封じ込めに対して、分離独立の主張あるいは自治権獲得の主張をするためである。分離独立の主張は、少数民族組織のスケールを登場させ、水平的な関 係の構築を目指す。また自治権獲得の主張は、国家スケールとの垂直的な関係は維持するものの、領域性を最大化させるためにスケールの政治を展開する。少数民族組織は政治の手段として、武力闘争を選択している。RCSS/SSAは後者の自治権獲得を目指している。

3. RCSS/SSAの生存を可能にする外部との関係  
前節では、RCSS/SSAに代表される少数民族組織が、国家スケール内部での垂直的な政治によって発生した武力闘争の中で、さまざまな領域性を持つ組織の生成と統廃合を繰り返してきた歴史を概観した。本節では、RCSS/SSAの生存と武力闘争継続を可能にする外部との関係に注目する。そのために、(1)国境を管理するタイ国軍との関係、(2)タイ系言語グループとの関係、(3)反麻薬政策の宣伝による国際社会との関係の三つに分けて整理 する。

3.1 国境を管理するタイ国軍との関係
RCSS/SSAはロイタイレンに本拠を置いている。ロイタイレンはミャンマー・タイ国境を形成する山の尾根からミャンマー側の傾斜部にかけての一帯に位置する。2018年2月 現在、約500世帯で約1,800人が居住している。外国人がロイタイレンを訪問する場合、タイ国内からアクセスするほうが容易である。タイ北部の経済・文化の中心であるチェンマイからメーホンソンへ北西に弧を描くように至る国道1095号線上から山道へ入り、ロイタイレンへ至る。チェンマイから定期ミニバスを利用するならば、バックパッカーの宿泊場所として有名なパーイを通過し、パンマパーという町までは約四時間、そこからは定期的なミニバスは運航されていないため、未舗装の山道を通行可能なピックアップトラックのような車両で約二時間を要する。
東南アジア大陸部の多くの国境では、国境貿易の恩恵を受け、したたかに豊かな生活を手に入れる少数民族の人々も多い。ミャンマー・タイ国境で言えば、タチレクとメーサイとの間や、ミャワディとメーソットとの間の国境ゲートは国家により管理されているため、政治的に安定している。これらの国境ゲートから各主要都市までは、国家主導の大規模開発により、大型の輸送車両が通過できるほどの道路網が整備されているため、少数民族の人々にとっては、国境ゲート周辺での活動によって人・物の移動に伴う技術・情報を取得できるという条件が揃っている。国家主導型の大型開発の影響が希薄で周辺住民が主に利用する国境ゲートであっても、小規模の経済活動とミャンマー側の豊かな自然を利用したボーダーツーリズムの恩恵を受ける少数民族の人々もいる。これに対し、国家の厳格な領域管理が行き届かない場所も多数存在する。少数民族の人々は、国境とされる山中や川を自由に往来し、社会的・経済的な結びつきを保持している。また少数民族が独自に管理する国境ゲートもある。例えばミャンマー・カチン州ライザと中国・雲南省徳宏タイ族ジンポー族自治州那邦との間には、カチン独立組織が設置している国境ゲートがある。この国境ゲートを通じて人や物が移動しており、雲南省内の主要都市へ続く道路は大型トラックも通行可能である。ただし、ライザ住民が那邦へのちょっとした買い物をする場合には、ゲートから数十メートル横の川を渡って越境する様子も観察できる。RCSS/SSAが本拠を置くロイタイレンの場合も、ミャンマー政府の国境管理の影響が限定的な国境沿いに位置している。上記のライザのように人や物の移動に適した交通網は整備されていないが、RCSS/SSAも国境地域の硬性空間と軟性空間との特性を利用しながら活動を継続している。このような場所において、ミャンマー政府に対するRCSS/SSAの生 存を可能にするのは、RCSS/SSAの五つの拠点がすべてタイ国との国境に接する場所であり、タイ国軍との関係を築いてきたことにある。国境を越えた部隊の展開はできないものの、RCSS/SSA将校たちが少人数でそれぞれの拠点間を移動する場合、ミャンマー国内を通過することは情勢からみて困難であるため、タイ国領域内を経由している。つまり、 RCSS/SSA将校たちは、ミャンマーの国家領域から、一時的にタイ国の領域に侵入する手段を選択しているのである。この現象を左右するのが、タイ国側からRCSS/SSAの拠点へ至る道中に設けられているタイ国軍による国境警備のための検問である。ただし、この検問はRCSS/SSAのみを対象としたものである。タイ国からロイタイレンへ至る場合、タイ国軍兵士が駐屯する検問を五か所通過しなければならない。ロイタイレンの各施設が集中する国境線上や、タイ国軍 とRCSS/SSAの検問との間には国境とRCSS/SSA区域を仕切るフェンス等は存在しないものの、その付近ではタイ国旗カラーに塗られた数本の杭を確認できる。この検問の厳格さの度合いは、タイ国の国境政策によって変化してきた。歴史的に見れば、1970年代のタイ共産党の活動が活発であった時期には、ビルマ共産党との連携による共産主義のタイ国内への波及を防止するため、中国国民党軍や少数民族組織が国境を通過 することを認めていた。1980年代にはタイ共産党が弱体化した後、国境政策を変更し、国境警備を強化した。第2節で示したように、タイ国内に拠点を構えたシャン連合軍をミャンマー国内まで押し戻したことが、その事例である。 1980年代末以降、タイ国は周辺外交を緩衝政策から、ミャンマーの人権と民主主義を問題視するよりも、むしろ軍事政権との良好な関係を維持する政策へと変化した。特にタイ国首相チャートチャイによる経済主導の政策が国境政策の変化の要因である。1990年代以降も、タイ国はミャンマーとの関係を優先しているものの、武力紛争、難民、不法移民、麻薬等のミャンマー国内に起因する諸問題の解決のためには柔軟な国境政策をとっている。そのため、タイ国の国境管理は常時一定ではなく、硬性空間における国境の透過性は常に変化する。場合によっては、タイ国が設置するチェックポイントの監視従事者の判断によって、人の通過を認めることもある。

3.2 タイ系言語グループとの関係  
ミャンマー・タイ国境では、一般的に、ミャンマー国内で流通する生活必需品は、公式に許可された国境ゲートを通過することで輸入されている。シャン州全体でも、タイ国だけではなく中国雲南省からの製品が流通している。このような状況下で、RCSS/SSAはタイ国北部のタイ系言語グループの人々との協力関係を重視してきた。 RCSS/SSAを構成するシャン民族とタイ系言語グループの関係を説明したい。「シャン」 という語は、タイ系言語グループの中でも現在のミャンマー・シャン州に居住する人々を意味する。1948年のミャンマー独立以降、中央政府の政策は異なる複数のタイ(Tai)系言語グループをシャンという一つの民族として組み入れた。タイ系言語グループは近代以前か ら現在のミャンマーラオス、タイ国、ベトナム、中国の国境を跨る地域に生活してきたのである。時間・空間的要因のため複数の下位グループに分かれたにもかかわらず、シャンは英国植民地時代の分割統治時代からミャンマーを構成する七州の一つに居住する人々として分類された。このシャンはビルマ語の呼称であり、シャンという呼び名は、ビルマの人々の間では10世紀ごろから使用されてきたが、シャンと呼ばれる人々は、自らがタイ系社会を形成していると考えている。そのため、シャン民族がタイ系言語グループ内で の共通意識を示すときには、自称としてシャンを使用することはなく、タイ(Tai)を使用する。下位グループを区別する場合には、タイヤイ(Tai Yai)、タイロン(Tai Long)など修飾語をつける。RCSS/SSAがタイ国北部の人々との共通意識を示すときには、タイヤイを使用している。しかし、ミャンマー政府と対峙するときには、シャン州という土地への帰属を強調し、組織名に「シャン」を冠しているのである。このようタイ系言語グループとの関係は、RCSS/SSAが管理する区域に居住する住民にとって非常に重要である。RCSS/SSA区域の喫緊の課題は、生活に必要な水と食料の確保であり、この確保は、タイ国北部に居住するタイ系言語グループの人々に依存している。 タイ系言語グループの人々がロイタイレン住民のために運搬してくるのである。まず、水について言えば、特に乾季の水不足は深刻である。多くのタイ系言語グループは、水の確保が困難な尾根に集落を形成することは少ない。しかし、本拠であるロイタイレンはRCSS/SSAの戦略上の理由から国境を利用しているため、大多数がミャンマー・タイ国境上、あるいはその付近に居住している。そのため、雨季には各施設や家屋の軒先に巨大なプラスティックタンクを設置し、雨水を貯め、日常生活や農業用水として利用している。しかし乾季には取水地まで、急勾配の山道を徒歩あるいは車両で下り、水を調達する。これら取水のための道具は、すべてタイ国から持ち込まれたものである。タイ国内にはタイ国の身分証を所持し居住するRCSS/SSA関係者や、タイ系言語グループの支援者がおり、必要に応じて、ロイタイレンまで運搬している。清潔な飲料水も、タイ国から持ち込まざるを得ない。RCSS/SSAは、各家庭に20リットルタンクを二週間に一回程度、配給している。この飲料水配給はRCSS/SSAがタイ国側から購入、あるいは支援として贈られたものであり、2010年から開始された。この年は、ロイタイレン内で、国境からタイ国側にはみ出して建てられていた各種施設や家屋を撤収するようタイ国軍が指示した時期でもある。この時期に前後して、飲料水に代表されるような生活に必要な物品のタイ国側から支援される量が飛躍的に増加した。支援元NGOは個別名称を明らかしていないが、タイ国内、特に北部の都市チェンマイを中心とした複数のNGOであり、タイ系言語グループに属する人々で構成されている。これらのNGOは、欧米各国や日本のNGOからだけでなく、国外へ居住するタイ系言語グループの人々から資金を集めている。次に、食料は、RCSS/SSAから月に一回程度、45キログラムの米袋が各家庭へ配給され ている。ロイタイレンは山岳地帯の尾根から急斜面に位置しているため、平地が全く無く水稲耕作には適さない地形である。東南アジアでしばしば目にできる山の斜面を利用した棚田は、RCSS/SSAによるロイタイレンへの本格的な居住が開始されてから日が浅いため、形成されてこなかった。各家庭に配られる米も、タイ系言語グループの人々で構成されたタイ国内NGOからの支援である。さらに、ロイタイレンがタイ系言語グループとの関わりを示すものに、流通する貨幣を挙げることができる。ロイタイレンの住民が日々の生活の中で、売買に使用するのは、ミ ャンマー・チャットではなく、タイ国の通貨であるバーツである。そのため、タイ系言語グループからRCSS/SSAや住民へ寄付として贈られる貨幣もバーツである。RCSS/SSAから兵士への給与もバーツで支払われる。食料品から生活雑貨に至るまで置かれている雑貨店で販売されている物品のうち既製品のほとんどがタイ国から輸送されているため、その流通経路をみてもバーツは重要視されている。最後にRCSS/SSA関係者が外部との連絡手段として使用する携帯電話もタイ国から持ち込まれている。RCSS/SSAとタイ系言語グループの人々との間で支援や物の売買について連絡する際に、携帯電話は必需品である。ただし、そもそもロイタイレンのほとんどは携帯電話の電波圏外である。唯一電波を受信できるのは、ロイタイレン中心部よりも小高い山の上にあるRCSS/SSA本部の前だけである。そこでRCSS/SSA関係者はタイ国携帯電話会社の電波を利用している。このように、RCSS/SSAは、タイ系言語グループに依存しており、関係性を重要視しているということができる。なぜなら、RCSS/SSA区域では、このような支援や物資輸送が 不可欠だからである。

3.3 反麻薬政策の宣伝による国際社会との関係  
ヨートスックは、シャン民族の代表を標榜するRCSS/SSAが麻薬取引に関与しているとの外部の認識を否定し、麻薬取引に依存しない組織であることを国際社会に対し、主張しなければならないと考えている。RCSS/SSAが管理する区域全体で、麻薬取引に全く関与していないかどうか証明することは困難であるが、RCSS/SSAは少なくとも組織として反麻薬政策を推進していることを宣伝している。上述のように、外部、特にタイ国側から孤立することを避け、友好関係を常に維持しておくことが、組織を生存させる方法である。つまり、RCSS/SSAとって、異なるスケールとの関係性を確保するための手段のひとつが、反麻薬政策の宣伝なのである。RCSS/SSAが管理する区域はケシ栽培中心地として有名な、ミャンマー、タイ、ラオス に跨る黄金の三角地帯の一角を占めている。歴史的にシャン州を基盤にした少数民族組織は、麻薬取引から資金を得て武器を調達してきた。したがって、ヨートスックが述べるように、RCSS/SSAも麻薬を取引しているのではないかと誤認される恐れがある。このような認識は、国際社会からRCSS/SSAが非合法集団と認定され、タイ国やタイ系言語グルー プからRCSS/SSAの生存に必要な支援や物資輸送を拒否されるかもしれないとヨートスックは危惧した。これを避けるための政策として、RCSS/SSAは、反麻薬政策を積極的に取り入れ、他の少数民族組織とは異なることを強調している。ただし、ヨートスックの主張は、RCSS/SSAが組織として麻薬取引に関与していないことを示しているにすぎない。RCSS/SSA区域内であっても、軍関係者や住民によるケシ栽培への関与を否定することはできないからである。RCSS/SSAは、シャン州とミャンマー 全土の麻薬問題を解決するために、ミャンマー国内外の組織、僧侶団体、テインセイン政権と協力する必要性を強調してきた。麻薬問題の早期解決は、ミャンマー国内の武力紛争 を解決し、黄金の三角地帯だけはなく、ミャンマー全土へ経済的発展の利益をもたらすとの主張である。1999年末にRCSS/SSAがロイタイレンに拠点を置いて以降、組織として RCSS/SSAはケシを栽培しておらず、麻薬取引に関与していないとしている。

シャン民族の独立を標榜して戦い、独立を勝ち取ってから反麻薬政策を実行するとしたクンサとは異なり、ヨートスックは反麻薬政策こそがミャンマー政府との交渉のために重要な要素であり、自治権を獲得するためには、反麻薬政策を切り離して考えるべきではないと認識している。 RCSS/SSA自治権獲得に向けた六項目の方針を採用してきた。そのなかで、反麻薬部門設置にも言及している。ミャンマー政府との停戦合意後は、(1)シャン州における一体性を形成し、真の連邦制としてのフェデラル連邦制を樹立する、(2)フェデラル連邦制に向けて各州と各民族は平等な権利を有する(シャン州がそのフェデラル連邦制を脱退するかどうかは、シャン州民が決める)、(3)シャン州民が人権や議会民主制を理解し、政治参加を促進する、(4)麻薬問題解決に向けてテインセイン政権と協力する、(5)目的を成し遂げるまで、政治的方法を通じて課題を解決する、(6)RCSS/SSAの軍隊は住民の安全を確保するのであって、不要不急の軍事的手段を用いない、の六項目である。ただし武力による対立が発生した場合、六項目のうち五項目のみ採用とする、すなわち麻薬問題解決に向 けた(4)のミャンマー政府との協力関係は解消するとしている。 2013年にはRCSS/SSAの麻薬撲滅プロジェクトを記載した冊子を作成し、停戦合意以前 からのRCSS/SSAによる麻薬撲滅活動を収めている。この冊子は、毎年6月26日の「国際 麻薬乱用・不正取引防止デー」を記念し作成されたもので、ビルマ語、シャン語、英語の 三つの言語で記されている。2014年には、ロイタイレンに反麻薬博物館を開設した。この反麻薬博物館では麻薬中毒患者の写真や麻薬の危険性を開設する図表等が掲示され、住民への反麻薬教育に利用されている。ロイタイレンで各種記念行事が開催される際には、英語のリーフレットも配布され、外国人を含めた外部者がこの博物館に入場できる。さらには、RCSS/SSAの反麻薬政策をアピールするためのWebサイトを開設し、RCSS/SSAの麻薬政策の方針や区域内での取り締まりを紹介している。このような活動がタイ国に認められ、2013年6月には、RCSS/SSAの麻薬撲滅におけるタイ国との良好な関係と情報共有に対して、タイ国警察等のタイ政府麻薬撲滅関係組織からイヌワシ賞(Golden Eagle Award)が贈られた。ただし、物資輸送の面のみを考慮すれば、RCSS/SSAとタイ国内機関との麻薬取引の共犯関係の疑いを否定することはできない。RCSS/SSAが麻薬取引に関与し、タイ国内機関が黙認することで利益を得ることも考えられる。しかし、ヨートスックが率いるRCSS/SSAによる反麻薬政策の宣伝は、短期的な利益を得ることを目的としているのではなく、異なるスケールに対しシャン州における RCSS/SSAの正当性を認めさせることを目的としている。このようにして、RCSS/SSAに対する不利な認識を否定する反麻薬政策を国際社会へ向けて宣伝することは、麻薬取引を非合法とする規範が共有される空間と、RCSS/SSAとを結びつける役割を担っている。つまり、人間の領域性の要素である異なる行為主体への伝達を意味し、区域管理の正当性を主張しているのである。  以上のように、本節では少数民族組織の生存を可能にする諸条件についてRCSS/SSAの外部との関係を検討した。RCSS/SSAは(1)タイ国軍との関係、(2)タイ系言語グループとの関係、そして(3)国際社会との関係、これらを重視し、生存戦略を練っている。

結語
本稿では、固定的な領域概念には収まりきらない、国境を突き抜けた空間で活動する少数民族組織の生存戦略を検証した。言い換えれば、国家の周縁部において、その空間の重層性と外部との関係性を利用して、生存戦略を練る少数民族組織の領域性が発現するスケールの政治の検討である。そのために、(1)政治地理学の「マルチスケール」の視点と「人間の領域性」の分析枠組みを援用し、国家と少数民族組織それぞれが行使する領域性が発現するスケールの政治が武力闘争へと展開したことを示した。さらに(2)その武力闘争を継続可能とするのは、少数民族組織が管理を主張する区域における外部との関係性であっ た。本稿での考察は東南アジア境界地域において多数観察できる、分離と統合をめぐる国家と少数民族組織の関係を検討する際に有効である。RCSS/SSAの事例を通じていくつかのことが明らかになった。第一に、東南アジア境界地域において、「固定的な国民国家から成る国際社会における国境概念」と、「実態としての多様な行為主体が形成する境界地域」は意味が合致していないという点である。本稿で対象とした空間では、少なくとも少数民族のスケール、国家スケール、タイ系言語グループのスケール、国際社会のスケールが重層的に存在している。このマルチスケールを前提として国家と境界、そして国際関係を議論する必要がある。  第二に、実態としての多様な行為主体が形成する境界地域は、それぞれの行為主体が空 間に対し区域の管理を主張することで生まれる人間の領域性によって形成されているという点である。RCSS/SSAのような少数民族組織の武力闘争の場合、少数民族組織は生存を確保するために、自身の領域性が発現するスケールのみで完結するのではなく、軟性空間の特性を生かし、異なるスケールとの緊張関係を利用していることに注目する必要がある。これにより、国家間の境界を確定する線形の国境について、重層的に存立する権力実態を結びつける空間として認識できる。本稿で至らなかった検討課題として、空間による人間に対する制御が挙げられる。つまり、RCSS/SSAが管理を主張する空間内部で、空間によって制御される人々についての言及である。RCSS/SSAが生存していくために、その空間の中で生きていかざるを得ない人々、例えば兵士、住民、居所を追われた避難民への分析は今後の研究の課題としたい。これにより、空間に発現する人間の領域性が、空間を制御するだけではなく、空間により人間が制御されるという内部への権力行使についての議論へと進むことができる。